長野県にて栽培指導の様子
8/29.30と長野県の佐久地方と上田市周辺にて新規農家の方に実際の畑の様子や栽培法や高麗人参小屋の様子を見てもらいました。
高麗人参は長野県では江戸時代より続く伝統的農業、松代藩や幕府天領だったこの地域では将軍吉宗の時代より栽培されています。
高麗人参は時代劇でもよく出てくるようにその昔は輸入産物でしたので一般庶民には買えるような金額ではなく上級武士や大名、商人が買うだけの商品でした。
しかし江戸時代に栽培法の確立(栽培法の確立には数百年かかっていると言われています)により、幕府奨励のもと全国で栽培を開始しました。
高麗人参栽培は当初、韓国より苗を海上輸送し日本で苗を植えて6年くらいまで栽培する方法などをしていたと言われています。
しかしコストがかかり過ぎる上、植え替えでの定着率の悪さから失敗が続いておりました。
しかし幕府薬草園にて発芽の研究などを続けた結果、栽培にはタネの発芽と収穫されたタネをそのまま植えたのでは発芽しないと言うことがわかり、種揉と言われる高麗人参独特の発芽方が発見されます。
収穫された赤い実を芽葺きするまで砂地に埋めて湿気の管理をして数週間管理する方法が発見されました。これにより韓国より苗を輸入せず、国産にて栽培ができ定着率も上がり栽培効率が急速に上がりました。
今、日本で発売されている高麗人参は中国産や韓国産が多いですが、総称してお種人参と呼ばれることがありますが、これは幕府が各諸藩に高麗人参の種を分けるときに御輿にお種様と記されていたのでお種人参といわれるようになったそうです。
栽培が全国で始められましたが、今と違い品種改良がカンによる時代、栽培適地が限られて幕末のころには島根県、長野県、福島県に産地が集約されたと言われます。
文献を見ると、流山、大宮などでも栽培されたそうですがその辺は資料が少なく定かではないですが。
幕末には、横浜にて中国向けに輸出され人参座と言われる専門の市が立ち高級産物として幕府の財政を支えたと言われています。
為替が高くて輸出産物としてここ最近は魅力を失いつつある高麗人参ですが長期の視点で見る限り栽培法を覚えて多少なりとも栽培しておくことで今後肥大化する東南アジアの富裕層のニーズ、一大産地である中国での後継者不足による収穫減、価格の高騰などで日本産のニーズは高まると思います。
日本では薬としての側面が強い高麗人参ですが、台湾やシンガポールでは薬、健康食品、嗜好品としての側面があり、富裕層は体に良いだけでなく、風味、香り、色艶などを吟味し高値でもよいものを購入します。
この考えは中国茶、台湾茶などにも通じる中華系の考え特有なものかもしれません。それが海外での日本産の人気を支えている秘密かもしれません。
モデルが悪くて申し訳ないですが趣味のカメラだけでなく仕事もこなしているということを
ご理解いただければと思います
栽培などをしてみたい方ぜひ当社までご相談を?四十代前半までの方でお願いいたします。栽培に数年かかるので若い方への技術伝承を目指しております。
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日記