泰盛社は、安政より高麗人参の栽培を長野県小県郡ではじめました。
当時の高麗人参は製品加工したのち、主に横浜や神戸などへ運び、中国や東南アジアへ向け送り出されました。
今では国産品は後継者の問題などで生産量が落ちておりますが、現在は中国吉林省産の高麗人参がその不足した分を補っております。
一代目 依田長吉:信州で高麗人参を栽培し、加工を行う 横浜の中華街にて輸出も行う。東京大正博覧会(1914年大正3年)、に自社で栽培した高麗人参を出品し長野県の部で賞状を皇族閑院宮載仁親王殿下より拝領する。
二代目 依田亀三郎:長野県にて栽培と加工をしつつ第二次世界大戦によって荒廃した産地や郷土の復興を目指す。
三代目 依田喜久生:高麗人参で戦後衰退していた輸出に力を注ぐ。香港、台湾、シンガポールとの貿易を再開。中国における加工の指導や栽培の指導をする。泰盛社ではなく、泰盛貿易商会と名称を改めて貿易事業を主に扱うようになる。
四代目 依田安生:高麗人参に続きローヤルゼリーの販売をはじめる。原点回帰の意味を込めて初代長吉の泰盛社ブランドにて小売りの商品、インターネットの商品を企画しています。
当社、卸、メーカー卸の為小売りのほうでの実績が乏しいので至らぬ点もございますがお客様にはなにとぞご愛顧のほどよろしくお願いいたします。
お気づきの点などございましたら遠慮なくメールをいただければ幸いでございます。
初代 長吉の大正博覧会賞状
香港訪問団(昭和40年)
三代目が輸出先の香港へ訪問